DEAN FUJIOKAさんLIVEその2
こんにちわ。
お久しぶりの更新です。
今回は3月17日に参戦した、
LIVEについて書こうと思います。
(備忘録レベルですが(笑))
1st asia tour Born to make history
名古屋 センチュリーホール
大阪での参戦に次いで2公演目、名古屋♫
席は前から二列目。
まあ〜近くって近くって!!
今まで、色々なライブに行ってきたけれど、一番近いと言ってもいいくらいの近さ!
大阪ではよく見えなかったところとかがよく見えました♫
もちろん、ディーンさんのお顔もよく♡
登場した瞬間から、そのかっこよさに改めて惚れ直す連続で…(〃∇〃)
ライブの曲については、ネタバレになっちゃうので東京終わるまで割愛しますが、どの曲もディーンさんの思いの詰まった熱いサウンドの連続!!
DJタワーを操るディーンさん、ギターを弾くディーンさん、スタンドマイクに向かって歌うディーンさん、踊るディーンさん、全て素敵でした♫♫
大阪公演のときとはまた違うアレンジが何曲か加わっていて、まるで初めて聴いたような高揚感のあるサウンドにとても興奮!!
毎公演毎にアレンジを加えながら、こうやって進化させていくんだなって実感しました。
また、私自身の好きな歌を再び聴くこともできて、変わらない素敵な歌声とますます進化していくディーンさんのライブの高揚感を浴びまくりました!
名古屋公演で初めて気がついたところをひとつだけ。
彼の履いていたナイキのスニーカー。
黒地に金の刺繍入り!
これがまた衣装に良く似合っていて…😍
これを履きこなせるのは彼しかいないなって思いました😆
どの衣装も似合うし、何着ても似合うのですが、あの靴は特に印象に残っています。
去年の2月に初参戦してから4回目のライブ参戦になりましたが、
毎回毎回、行くたびにディーンさんの音楽に触れることが楽しくって、彼自身も音楽をやっている事が楽しいって思っていて楽しんでいるというのがよく伝わる楽しさが増していくライブ。
だから、こっちは身を任せて彼の奏でる音楽を楽しむだけ!おかけで、ライブの時間って楽しいからあっという間に終わってしまう。
参戦したあの日に会場にいた3000人のうち、何人が彼のファンなのかは分かりません。
もちろん、一般チケットで取った一見さんもいるかもしれません。
だけど、ライブ後にその人たちとみられる方々のツイートを読むと、確実に彼の音楽に魅せられて何かしら伝わっていることは分かります。
そんな力をもつディーンさんは本当にすごいなと思います。
この先、次のツアーのときまでに、また名古屋に来てくれる人が居たらいいなと思った名古屋参戦でした。
もちろん、ディーンさん、貴方もまた来てほしい人ですよ!
名古屋で、待ってます!
そして、国内オーラスまで、怪我なく安全第一健康第一で頑張ってください♫
言葉にすること
『好きを叫ぶ』
一見簡単そうに見えて、とても難しくて。
今こうして書いていても、頭では書きたいことのビジョンがぼんやりとでも見えていても、実際、うまく言葉がつながらなくてヤキモキするところ。。
いくら、目の前に話題があっても、その感情や思いをどう書いたらいいものか私にはいつも悩みの種としてあります。
だから、いろいろなはてなブロガーさんの記事を見て、あんなにも上手に書けれる人が羨ましいなと思う。
テーマもそう、タイトルも。
私が最初にここを立ち上げたときも、ブログタイトルにものすごく悩みました。
主とするテーマを掲げて立ち上げたわけではなく、何をどう書くのかすらも決めないまんま、ただただ思ったことを書く場所が欲しかっただけだから。
ならば好きな人の事、嵐や関ジャニ∞やディーンフジオカさんや玉木宏さんのことなど、好きなことを好きなだけ書く事が出来たらいいなあ。
そんな思いを込めてブログのタイトルを
『たまえりの好きなことを好きなだけ』
としました。
Twitterじゃあまりに反応が気になりすぎて言いずらいことも、ここでならいいかなと。
誹謗中傷や相手を傷つけるものでなければ。
もともと、私は長文を書くのが苦手で、小学校時代の読書感想文ですら一週間くらいかかっていた人。
そんな私が日頃思っていてもその思いを吐き出そうかと悩み始めたのがTwitterでした。
140字なら短いし何とか書けるのではないかと。
でも最初のうちは140字はおろか50文字すら書けないこともあった。
私のフォロワーさんの中には、内容に一貫性はないかもしれない私のツイートに、「果たしてこの人はこのブログで何を書きたいんだろう」と思っている人もいるかもしれません。
だけど、Twitterを始めて早6年。
拙いながらも文章を書く事が苦手だった私でも、楽しく今は少しずつ思いを文章に書けるようになりました。
140文字に思いを乗せて。
ただ、少しずつ書けるようになったといえども、フォロワーさんとのやり取りや、ほかの人のTwitterを読んだりして今も自分の表現力の乏しさを痛感する日々ですが。。。
もう少し上手に書く事が出来たらなあと思うこともたくさんありますが、もしもこのブログを読んでくださっている方がいるのならば、その人にちょこっとでも私の言いたいことが伝わったらいいなと思いながら書いています。
決して、私の書く文章は上手とは言えないし、他のはてブロガーさんたちのように上手い事分かりやすく物事を書ける人じゃありません。
それでも、日々ヲタク活動している中で感じる自分自身の心の内を整理して書き留めておく場所としておけたらいいなと思っています。
好きなことを好きなだけ書くために、
毎日ではなく不定期な更新で。
細く長く。
夢のその先へ送り続ける風。
『夢のその先』
これは、翔くんが、ライブ終わりのほうの挨拶でよく言う言葉。
嵐として、櫻井翔として、今までたくさんの夢を叶えてきたであろう人から出るこの言葉がとても大好き。
トップアイドルとか国民的アイドルと周りから言われることが増えても、常に前を向いて上を目指そうという姿勢が見えて。
私自身、推しには常に手の届かないくらい雲の上の目標的な位置にいる人でいてほしいから。
10周年のコンサートのDVDを見たときに初めて聞いて、「あぁ、この人はこの先もずっと上だけを見ていく人なんだろうな」と思いました。そして、まだまだやりたい事も目指したいと思える目標も見えている人なんだと。
その目標にたどり着くまで、目標や願望が形となって私達ファンにお披露目されるまでを見届けたいと思いました。
そして、私も翔くんみたいに、常に目標を持って居られるような人でありたいと。
違うアーティストさんの話になりますが、DEAN FUJIOKAさんもよく「ネクストレベル」という言葉をよく使います。
今よりもっとレベルアップさせなきゃという意味を込めて、。
彼もまた、現状より、更に上のステージに進むための努力をする事が、この世界で戦うモチベーションなのかもしれません。
ディーンさんも翔くんも。
生きているステージは違っても、目標を持ち続けているのはやっぱり一緒で。
やはり、人って、目標やあこがれを、生きている以上は明確にとまではいかなくてもなにかもっていたいものなんですよね。
目標があるから、少し辛いことでも頑張ろうって思える。
でもそれって、なかなか難しくて。
辛いことって逃げたいし、できれば避けて通れるなら避けていきたいもの。
でも、15周年の年に初めて行ったコンサート『THE DIGITALIAN』で初めて翔くんの口から自分の耳で聴いて、
そして2年前、「untitled」のときもその言葉を耳にして。
トップアイドルという重責と、嵐という看板を背負ってるのって、相当重たいはずだし、持ち続けることって容易じゃないのにその中で自分の目標を常に持ってこのアイドル界で生きている翔くんって凄いし尊敬という言葉では片付けられないほど凄いと日々思います。
逆に言えば、それくらいのプレッシャーに耐えられないようでは生きていけないのもアイドル界なわけで。
もしかしたら、そういうことすらも心地よいプレッシャーに感じているのかもしれません。
嵐って、
トップアイドルで、絶対的に周りから求められることって常人の私達からは想像もできないくらいきっと目に見えない苦労もあるだろうに、なんでこんなにも謙虚で努力に貪欲なのかなと思うことがありますが、きっとそれは「ファンに見せたい景色を見せるための努力をすることが嵐のモチベーションとなっている」からであって「ファンが嵐に見せてほしい景色を伝え続けていけば行くほど、その手を止めないで見せ続けてくれる人たち」だと思っています。
嵐さんがファンのことを「風」と表現するのも、そういうことなのかもしれません。
『夢のその先』
今まで必死で私達ファンのために『夢のその先駅』へのレールを敷いて導いてきてくれた嵐さんが活動休止中に見るであろう、今までだったら見えてこなかった見る時間もなかった景色。
どんな色をしていて、どんな音が聞こえて、どんな匂いがしましたか?
もしも、ほんの少しでも教えてもらえるのなら、活動休止後に復活することがあるのなら、教えてほしいです。
1991年
『ジャニーズ "嵐" 』駅発
嵐さん5人で始まった『嵐鉄道』。
地方駅発都会行き5両編成の電車に夢を乗せて。
だけど若干10代。いきなり渡された大きな乗り物。手探りながらも5人で手を取り合って今まで感じた事もないほどの大きな夢と周りからの期待を乗せてを運転し始めました。
ときに挫折したり、思ったように行かないこともあったかもしれないけれど、その手を止めることなく、たくさんの時間と努力で、お客さんを着実に増やしながら一歩一歩着実に歩んできました。
2021年『活動休止』経由
そんな彼らが、外の世界も見てみたいと初めて、運転してきたその手を一度止めることを発表した2019年1月27日。
正直、乗客としては戸惑った。
私達が今乗っている電車はどうなってしまうのかと。
このまんま廃線になるのかな?かと。
でも、嵐さんは言ってくれた。
『復活はあるよ!』と。
そう、途中下車して寄り道するだけ。
また、乗客と夢と希望を乗せて、走り出してくれると。
20xx年『嵐の夢のその先』駅着
私達を乗せてまた運転してくれるその日には、きっと終着駅がとても今まで以上に輝いて見えるはずと信じて。
虹色に輝く豪華列車『嵐』が、活動休止駅に停車していても、どうか素敵な姿で居てくれることを願ってやみません。
そして、活動休止駅に着くまでの窓からの景色も、目に焼き付けていたいと思います。
私達ファンは、どうやっても、嵐さんの先に立つことって難しくて、風となって風を送り続けることしかできません。
だからこそ、活動休止に入るまでの日々が素敵なものになるように、活動休止中も素敵なものになるように、いい風を送り続けることが大事。
嵐さんの『夢のその先』を
ファンの手で『夢』で終わらせる事のないように。
DEAN FUJIOKAさんLIVEその1
もう2週間も前になる話を、今更書いてる人なんてあまり居ないよなぁと思いつつ。
でも、自分の遠征記録として書こうと思います。
先月の2月21日、かねてより応援しているDEAN FUJIOKAさんのライブツアーの大阪公演に参加してきました!
ディーンさん初めてのAsiaTour!
『BornToMakeHistory』
場所:フェスティバルホール
今回は前回(昨年の同じ頃にも同じ場所でツアーに参加してます♫)とは比べ物にならないくらいの神席に恵まれ、ステージから4列目というとんでもないところから参戦することができました。
まぁまぁまぁ、席着いた瞬間から改めて思ったその近さたるや想像以上過ぎて‥!
だからこそ、去年(2階席から)ではよく見えなかったディーンさんの動きや表情や仕草がとてもよく見えました!
そしてよく分かる。
ディーンさんのスタイルの良さ!
手足が長いのはもちろんの事、
細身の体なのにしっかり筋肉がついてて、腕の筋肉も程よくて、プクッとしたお尻がジャケットから見え隠れ♫
自分の目で間近で見ないとやっぱりスタイルの良さって実感できなくて‥。
あぁ‥やっぱりモデルやってるだけの事はあると、改めて思い知らされました!
ほんっと、スタイル良すぎて眩しかった‥。
ギター弾く姿のカッコよさももちろんだけど、歌っているときの色気も‥。
ある曲では客席を隅から隅まで見渡す姿に、胸がジーンと来たり。
2時間半中、ずっとディーンさんに釘付けでした(笑)
ライブ序盤。
『人生色々あると思うけれど、
今日を選んだこと、
絶対後悔させません!』
この言葉通り、全曲に想いを乗せて聴かせてくれていると感じました。
日本に帰ってきて、日本でツアーをやれて、4月からは海外でもライブが出来る喜びが全身から歌声から溢れてきている気がしました。
ディーンさんのファンになって、
こんなにも素敵な歌声を知ることができて、
幸せなコンサートでした♫
そうそう、大阪からの帰りの日、
初めて五代様に会ってきました!
何回も大阪に来てたけれど、
ちゃんとご挨拶するのは初めてで。
銅像を目の前にして、その迫力がものすっごく偉大に感じました。
五代様が作り上げてくださった大阪の街に、
五代様が縁で知ることのできたDEAN FUJIOKAさんという素敵な俳優さんのライブに来られたことの幸せ。
この先も、大阪という街を好きで居たいと、改めて思いました!
五代友厚様、
大阪を作り上げてくださって、おおきに!
また来ます♫
そして、ディーンさん、
次は名古屋!
名古屋のふぁむっこがお待ちしてます♫
*1:ライブの曲のことだったりは、ネタバレになるのと、私の記憶が少し覚えが悪いので割愛します
嵐 andmore‥当落
昨日、嵐のAnniversaryツアーの追加公演の当選発表日でした。
10年と少し、応援してきた嵐さんの、活動休止前おそらく最後になるであろうコンサート。
前半で落選し、その後の制作発表席もあえなく涙を飲み。。
正直、動員数がどれだけ多くても不安しかありませんでした。
頭の中で、あのときの記憶が頭をよぎります。
また落選してるのではないか、と。
正直、前回、落選してからしばらく病んでたのでまた涙を呑んだら‥と思っていました。
不安に押し潰れそうになりながら仕事へ。
もちろん、仕事中も気になって、半分仕事になりません。
昼休憩になり、まっ先にスマホへ。
メールを開けると、
まっさきに飛び込んできました。
当選者にしか来ないコンサート事務局からのメール!!
そのタイトル見ただけで手と体が震えました。
リアルに。膝から転げ落ちました。
お昼ご飯を忘れそうになるくらい。
その文字にすべての神経が持って行かれました。
『おめでとう御座います、
第一希望で当選です!』
文字を見て3秒、しばらく放心した後、職場であることを忘れ休憩室で大号泣。
嵐に会える、もうそれだけで嬉しくて。
嵐に、活動休止に入る前に会える。
その事実だけで、もう幸せです。
何を言うよりも、『嵐に会える』この事実に勝るものはありません。
12月13日のナゴヤドーム
嵐に会ってきます!
嵐にたくさん伝えたいことがある。
ありがとうも、ゆっくり休んでねも、。
それらをすべて伝えてきます!
嵐さん、andmoreを用意してくれてありがとう!
ナゴヤドームで待ってるね!
DEAN FUJIOKAさん。
拝啓、DEAN FUJIOKA様。
ディーンさんのファンになって、
早3年になりますね。。
あさが来た以降だから、そうなるのかな。
五代様からのファンだから。
ファンになりたての頃は、五代様が好きっていうほうが強かったけれど、今は五代様以上にディーンさんが好きっていうほうが強いです。
だから、好きだから故に、貴方のことを色々と知っていくうちに胸が時々締め付けられるくらいの切ない気持ちになるときがあります。
それは
『いつか、日本からまた出てってしまうのではないか‥。もう二度とディーンさんに会えない日が来るのかもしれない』
って事。
そもそも、あなたは日本生まれだけど、海外での経験が長いお人。
今はまた日本を離れて日本での活動をしませんだなんてそんなことはないと思っていても、元々貴方は中華圏でデビューして、現地ではすごく人気のある俳優さん。
日本でのかつての知名度より、遥かに向こうでの知名度のほうがあるもんね。
だから、日本でのキャリアより、断然あちらのほうがキャリアや経験や人とのつながりや地位も当然あるわけで。
故に、今は日本での仕事があるから日本に居てくれてるけれど、いつ向こうから声がかかるか分からない。
当然、向こうから声がかかれば、貴方の事だからそりゃ行くでしょ?
慣れない日本での仕事より、勝手知ったる仲間との仕事のほうがやりやすいに決まってる。それに、家族もジャカルタに居るから、拠点をジャカルタに移しますって言ったとしても何ら普通なんだけど。
もしも日本を離れますって言ったとして、それが一時的ならいいけれど、、、
その先が時々不安になるよ。。
もしも、海外に行ったら、彼の事だからって思うとね。
貴方のあの笑顔が大好きで、貴方の歌声が大好きで、ちょっと天然なところも大好きだから。
ずっとずっとあの笑顔を見ていたい、歌声を聴いていたい、ディーンさんのいうところのネクストレベルを一緒に追いかけて彼に風を送り続けていきたい。
ずっと応援していたい。
だって、大好きだもん。
俳優のディーンフジオカが、
アーティストのDEAN FUJIOKAが。
願うなら、
『この先も、貴方に会いたい』
おディン、ずっとずっと日本にも居てね‥。
日本に居るディーンさんのファンとして、
ふぁむっことして、良いファンで居るから。
日本に、居てね。
拝啓、赤色のちっちゃなおじさん。
昨年の9月から書いているのに、全く筆の進まなかった記事の一つ。
他担の私が触れるのが少し恐れ多くて。
だけど、もうあれから1年が経とうとしてるから、心の整理をそろそろつけたくて。
なので、他担だけどあえて書きます。
関ジャニ∞って、いつだって全力で、真っ正直で、本気でアイドルをやってくれて、ファンにいつでも無限大の愛を伝えてくれています。
そんな関ジャニ∞からの突然のメンバー脱退のニュースからもうすぐ1年が経とうとしています。
ですが、未だに飲み込めません。
すばる担ではありませんが、
やはり、好きな関ジャニ∞からメンバーが一人脱退したということはやはり寂しくもあるしどこか心の底で悲しい気持ちになります。
最初、報道が出たとき、
『嘘だ~、すばるくんに限って、んな事あるわけないよ~(笑)』
なんて、のんきな事を思ってました。
あんな事無いと信じてました。
でも、
翌日に届いたファンクラブのメールの一文。
『11時より、関ジャニ∞メンバーより大切なお知らせがございます』
まさかと思った。
当然、報道は嘘ですと言いきってくれると思った。
だけど、嘘でもなくて。
その後に行われた、メンバー揃っての会見。
いつもの見慣れたMCの並び順に座って。
いつもの並びだけど、表情は様々。
前を向いている人
決意に満ちた人
まだ納得しきれてない人
平静を保つのに必死な人
平静を保ちすぎている人
明らかに涙目の人。
私の中で、何かを感じた。
そして、
すばるくんがゆっくりとその口を開いた。
『2018年12月31日を持ちまして、
ジャニーズ事務所を退所させて頂くことにいたしました。』
『自分の音楽を突き詰めて行きたい』
口下手な彼から出た、はっきりとした言葉。
ジャニーズ事務所を辞める‥と。
その後、記者さんからの質問で、メンバー自身もすばるくんを必死で止めようとしたことやメンバー間での葛藤が語られた。
その中の質問の一つ。
『バラエティが嫌になったからなのか』という質問。
週刊誌で、すばるくんが脱退を決めた理由として挙げられていた。
でも、すばるくんはハッキリと言ってくれた。
『バラエティが嫌になったわけじゃない』と。
この質問で、私はハッキリと、
すばるくんは単純に夢を追いかけたくてこの脱退と退所を決めたんだって思えました。
それまでは、色々なことが頭をよぎりました。
だって今は、憶測がかんたんに飛び交うし、私達には分からない苦悩もある世界だと思うから。
だけど、私達が心配するようなことが原因ではないことが分かって、本当にホッとしました。
会見が終わり、一番に思ったこと。
関ジャニ∞でメインボーカルを務める、彼らしい決意だなって。
今まで、沢山の人との出会いとたくさんの音楽に触れる機会のあった彼だからこそ、いろいろな人から刺激をもらっていたんだね。。
自分の音楽の可能性を、
もっともっと突き詰めたくなったんだなと。
もちろん、自担を入り口として関ジャニ∞のファンになって、すばるくんの歌声にも惚れ込んだ私としては今回のことはとても寂しいし悲しい。
7人のエイトというものが当たり前過ぎたから。
黒、赤、紫、オレンジ、黄色、青、緑。
7色あるのが当たり前で、その真ん中にいつもちっちゃい体ながら、いつもあった色だから。
関ジャニ∞を飛び出して、ジャニーズ事務所を飛び出しても、後ろ盾を失っても自分の夢に真っ直ぐに向かいたいという決意。
あれだけ真っ直ぐな目で言われたら、送り出すしかないじゃない、と思いました。
だからあの時は、
他担だけど、すばるくんの歌声が大好きだし、笑いのセンスも大好きだからこそ寂しいし、悲しい思いでいっぱいでした。
何聴いてもすばるくんのことを歌ってるんじゃないかって気しかしなくて。
たけど、6人でのツアー『GRE8EST』を経て今は、これから先、すばるくんがどんなステージでどんな歌声を聴かせてくれるか待ち遠しいなと思えます。
ただ、あのツアーも、やっぱりどこか探していました。
聴きなれたすばるくんの歌声と笑い声とツッコミと、姿を。
それでも、6人はそんな私達の思いも受け止めて立派にステージに立ち、私達ファンに強い姿を見せてくれました。
そして、まだまだ癒えぬファンの心に寄り添ってくれました。
あなたが居なくなってから色々あったけれど、すばるくん、貴方の居ない関ジャニでも、6人でも立派に5大ドームツアーやり遂げたよ。
次はあなたの番だよ。