嵐のコンサート
私は、これまで、3回ほど嵐のコンサートに行ったことがあります。
デジタリアン、ジャポニズム、アンタイトルの3回。
なかなか行くことが出来ない人もいる中で、こんなにも行くことが出来ていることは幸せなことだと思っていますが、年々思う事があります。
それは、
「本人をちゃんと見たい」
という事です。
決して、潤くんの演出に難癖をつけたいわけでも、否定したいわけでもなくて、
ただただわがままな一人の私が思うだけなのですが。
やはり、私が見に来たのは、嵐さんだから。
舞台で歌い踊る嵐さんだから。
もちろん、潤くんの中で思い描くコンサートややってみたい演出が山ほどあることも知っています。
ペンライト制御もやってみたかったけど、実現には長い年月の試行錯誤と苦労の賜物だという事も。
でもでも、それによって、本人さんたちを観る時間だったり、せっかくの歌い踊る嵐さんを観る時間が減ってしまってはとても残念なことだなと思うんです。
それは、DVDになった時に一番感じます。
どうしても客席も写さないといけないから、引きの絵が多くなってしまいます。
ということはすなわち、アップでの嵐さんが減ってしまうという事。
以前に、二宮さんのソロの時、DVDでの映像で引きの絵が多かったことで、ファンの間でも物議を醸した事がありました。
久しぶりにがっちり踊っている二宮さんなのに、引きの絵のせいで、動きを良く観られない。
あれを観た時は、翔担の私でもちょっと悲しかったです。
前の曲とのつながり上、あぁいった演出になったのかもしれませんが、ちょっと悲しかったかな。。。
私自身、潤くんの演出は嫌いじゃないし、他のジャニーズにはないような、
ちょっと時代の一歩先を観に来たような気持ちになれる「日本最高峰のエンターテインメント」ともいわれる演出は、嵐ファンの誇りだしとても好きです。
でも、
先日観に行ったエイトのコンサートで、ああいったコンサート良いなあと思ってから、ちょっと嵐さんのコンサートに対する見方が変わってしまったことは事実です。
エイトと比べたりしてはいけない事は分かっています。
それでも、今の嵐さんのコンサートは、どうしても演出ありきに見えてしまうんです。
照明やモニターに凝るのが先んじてしまって、肝心の本人さんたちが霞んでしまっているんじゃないかと。
テレビであれだけカッコよく踊れて歌えるのに、そこまでコンサートで凝った演出は必要ないんじゃないかとも。
しやがれでの夏疾風披露のときに、それを強く感じました。
ビルの屋上で、セットがあるわけじゃないのに、爽やかに軽やかに踊りながら歌う嵐がとてもまぶしく素敵に見えました。
『歌い踊る嵐に、セットなんていらない』
とまで思うくらい。
もちろん、本気でコンサートでセットは要らないというわけではなくて、
それくらい本人たちに華があるという意味です。
私の偏った考え方だから、私とは違う考え方のファンが居ることも分かっています。
「潤くんが徹夜までして作ってくれるコンサートに難癖つけるなんて、それでもファンなのか」と言われることも。
だけど、私自身は、嵐のコンサートは演出を含めて大好きだからこそ、もう少し本人の歌や踊りを観られると良いなあと思うんです。
嵐のコンサートが好きだから、嵐が大好きだから、
30代も後半になった嵐さんだからできる本人さんたちの魅力を武器にして、コンサートを作り上げてほしいと思っています。
嵐さんにハマって約10年。
コンサートに通い始めて5年目。
20周年という節目のコンサートに、
足を運べますようにお祈りしながら、このブログを書いています。